養子をもらいたい → 里親研修へ
我が家は夫婦二人暮らしで、子供がいない。
いわゆる妊活もだいぶ行ったが、残念ながら成果が出なかった。
実子を授かることを完全にあきらめたとしても、子育ても絶対にできない、というわけではない。
過去に多くの方が実践された例があるように、「養子」を向かい入れて、我が子の様に育てる経験を得ることはできる。
子育てという経験をする必要があるのか、という議論もあるだろうし、今の時代結婚すらしない人も増えているし、敢えて子供を作らないで生活する人ですらいるらしい。
子育てが叶わなければ、それを受け容れた人生を全うするだけなのだが、可能性があるのであれば、人生にとってものすごく貴重な体験であることは確かだろうと思う。
また、生まれた子供を捨てる人すらいるらしいし、ましてやここ沖縄では若年結婚率No1、離婚率がNo1。困っている子供たちも多いはず。養子縁組の機会もある程度のチャンスがあるのではなかろうか。
実状もよく分からずに、まずは地域の相談所を訪ねてみた。
養子・里親・児童相談所の実態を知る
県の施設の場合、養子を引き取る立場になるには、「里親研修」を受けなければならないとのこと。
その研修は講義や実習が数回伴い、研修終了まで約半年ほど掛かる。
後々知ったが、民間の養子縁組の斡旋業者もあり、そこではお金を払って登録して、さらに研修があるようだ。最初から民間の斡旋業者に登録すればよかったのかもしれないが、年齢の上限制限があって、我が家の場合はその年齢制限に引っ掛かってしまう時期だったので、元々どうしようもなかった。
ということで、一先ず里親研修を受ける流れとなっていった。
そもそも「里親」とは・・
里親とは、子どもが一時的または恒久的に、自分の家庭や環境で育てることを受け入れる人のこと。社会的支援の一環として、里親はその子の生活や福祉を保護し、愛情や支援を提供する責任を負う。
里親は、養子縁組や保護者としての法的な権限を持つ場合もあるが、一部の場合では一時的な世話や支援の役割を果たすこともある。
里親として子どもを受け入れることは、彼らに希望や安全な環境を提供する重要な役割となる。
愛情の欠如 →「育て直し」の苦労
社会的支援を必要とする子供の多くは、以下のような状態の子供たち。
- 実親は離婚し一人親。経済的な困窮で育てられず、施設に預けられた
- 家庭内暴力(DV)の被害を受けていたことが発見され、保護された
- 実親が精神病等で、子育てに支障をきたし、保護された
- 事故や病気で実親が他界している
総じて、「幼いときに両親から受けるべき愛情を受けられなかった」傾向が強い。
座学で学んだところでは、このような子供たちを受け容れた際に起こる事象として、「試し行動」というものがある事を何度も伝えられた。
これは、受け入れた里親に対して、最初は良い子を振舞うけど、そのうち様々な問題行動を起こすという。噛みついたり、食器をひっくり返したり、はまだ可愛い方で、親が大事にしているものをワザと壊したり、外に投げ捨てたり、様々な嫌がらせ行動を起こすようになるらしい。
これは本人も悪意があるわけではなく、自覚なく育て親の顔色を窺って愛情を確かめる行動との事。
適切な対応をとり続けて愛情を与えていくと、数か月から半年くらいでこのお試し行動は自然と収まっていくらしい。
本来受けるべき愛情が欠如していたことにより、「育て直し」が必要であり、その育て直しの過程で必要な行為だと認識した。
ただ、適切な愛情を受けられないまま成長していくと、どうしても心の偏りから、極度な大人への不信、人間不信となったり、非行や犯罪に進んでしまう傾向もある。
施設のスタッフから聞いた話
児童園は、居住する子供たちが伸び伸び遊べるように、割と広めの中庭公園が広がっていた。
私たち夫婦は、研修に一緒に参加した数組の夫婦と一緒に、まずは児童園の施設を見学した。
児童園は、数人のスタッフと共に、子供たちが共同生活をしている。
男女こそ別れているものの、部屋も共同、テレビも共同、食事も決まった時間。。
集団生活ゆえの、行動に制限のある生活である。
スタッフの方に施設の説明を受けながら、いくつか印象に残った言葉がある。
スタッフは交代制なので、一人の子だけに愛情を注ぐことはできないし、雑務が忙しくて一緒に長く遊んであげることも難しいんです。
子供たちは補助金などで物理的にはだいぶ満たされるようにはなっていますが、子供たちが本来必要な、幼い時期に必要な親からの愛情は欠如しています。
だから、里親の皆さま方には、本当にありがたいです。
人間は幼い時期に、自分だけを見てくれて、話を聞いてくれて、甘えさせてくれて、安心感を与えてくれる親からの愛情が必要不可欠だ。
児童園の子供たちを見かけつつ、スタッフの方から受けたこのセリフに、座学で学んだことがなんとなく腑に落ちた。改めて里親という役割の重要性を感じることができた。
「施設で育つ子」との触れ合いを通して
その後、児童園で暮らす主に小学生低学年の子供たちと一緒に中庭公園で遊んだ。
ボール遊びや追いかけっこ、鉄棒やブランコ、砂場遊び、複数人で大人と子ども混合リレーまで・・・。
初対面なのに一緒に遊んでいるうちに楽しく打ち解けてきた。
みんな可愛い子供たちである。
そして、さよならが近くなると、
次はいつ来るの?
と聞いてくれた。
そして、今日だけだという事実を知ると、寂しそうな表情を見せた。
里親研修で参加している身分でありながら、もし、この子達の親であったら、ずっと一緒に暮らして話も聞いてあげて、さみしい思いをさせないで済ませられるのだなぁ、ということを思うとやっぱり切ない気持ちが湧いてきた。。
これから
上述したように、里親研修を通して色々な実状を知り、同時に考えさせられた。
- 沖縄県の公共機関では、養子の斡旋はほぼ可能性がない
- 民間の斡旋機関もあったが、親の年齢は50歳以下という制限があった。(自分は手遅れ)
- 社会的援助の充実度と施設養育の限界
- 養子への真実告知と育て方
- 子供たちへの思い、の変化
- より良い社会づくりのために
人間は、誰もそうであるように幼き頃に、全面的な両親からの愛情を受けて育つべきであろう。
ところが、現実はそうでない家庭も多い。特に沖縄では親として未熟なまま子供が産まれて育てきれずに本来の家庭の機能を保てないまま育児が放棄されてしまう現実や、片親で育てなければならない事情なども周囲から話を聞くし、さらに児童園の現状を見ると切ない気持ちになる。
既に50歳を超えて、養子の可能性も低いし、里子を迎える可能性も低いと言える。
残念ながら人生で子育てという経験をできないかもしれない。
それでも、せめて関わる周囲の子供たちへの愛情を持ち続け、行動できる大人で有りたいと思えた。
そして、少しでも世の中の悲しい現状が減っていって欲しいと願うものである。
子育ては未来をつくるかけがえのない経験。
私達大人はどんな立場であれ、子供たちの未来をより良きものにしてあげる義務があるのではないかと思います。
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